流産・不妊症・不育症 でも愛し愛されて生きていく ココロとカラダのつくりかた♡

ベビ待ちは本来楽しいもの。そして子供を授かっても授からなくても、愛し愛される人生を生きていいの。楽しく美しく愛されて生きるココロとカラダのつくりかた。

悲しみは悲しみが癒えるまで悲しんでいていい

こんにちは。

おーりーです。

 

今日、目が開いて、生きている

なんて素晴らしい♡

 

 

 

子供が欲しくて
四方八方に手を尽くし


でも、
流産を繰り返していたあの頃。

 

 

励まされるのが嫌で
励まされるのを避けるために
元気なふり、平気なふりをしていました。

 

 

その頃は

自分の行動を
ここまで分析できていなかったけど。

 

ただ、平気なふり、はしていた。

 


自分をどうにか保つために。

 

 


今なら、わかるんだ。

 

傷がパックリ割れていて
血がドバドバ出ていて
痛いし染みるし


でも、社会生活は送らないといけない。

 

 

人に話したら
中途半端な善意で
慰められたり
励まされたり。

 

下手に
「前向き」なガーゼを当てたら
膿んでしまう。

 

 

それに、
その傷口を抱えたまま
人に向き合ったら
その傷口をどう守ったらいいかわからない。

 

 

だから


完全に後ろを向いて
傷口を隠して

大丈夫なふり

をしてた。

 

 

 

今日、その頃から付き合いのある
けーちゃんに

 

たまにね。

「あの時のおーりー、今の道を選ばなかったら死んじゃってたんじゃないかな」

、ってよぎってた。

 


って言われた。

 

 

確かに。
流産だけじゃなくて。

 


他にも色んなことが起こってて
痛みに痛みが被さって、
悲しみがいくつも襲ってきて、

 

誰かに話したら
自分が崩壊しそうだった。

 

他の道、はもう無理で
今の道じゃないと
とても生きては来れなかったと思う。

 

 


よくがんばったな、わたし。

 

 

 

今ならわかる。

 

悲しみはは、
悲しみが癒えるまで悲しめばいい。

 

人からの言葉は無視していい。
中途半端な優しさには応えなくていい。

そんなことしてたら
自分が壊れてしまうから。

 


どうやっても自分を守っていい。

 


でも、もし可能なら。
すこーし動けるようになったら。

誰か、信頼の置ける人に

 

ほんの少しだけ。
ちょっぴりだけ。でいいから。

悲しみの片鱗を
話してみたらいい。

 

 


悲しんでていいよ。

どっぷり浸って大丈夫。

 

 

 

前向きな言葉とか
感謝とか


「いつまでも泣いてないの」とか
「いいこともあるよ」とか


中途半端なスピリチュアル的な
「全ては自分が起こしている」とか
「世界はあなたの投影」とか


全部無視していい。

 

全部全部全部
無視していい。

 


人の善意になんて
応えなくていい。

 


そんなところに
気を遣わなくて大丈夫。

 


悲しんでていいよ。