流産・不妊症・不育症 でも愛し愛されて生きていく ココロとカラダのつくりかた♡

ベビ待ちは本来楽しいもの。そして子供を授かっても授からなくても、愛し愛される人生を生きていいの。楽しく美しく愛されて生きるココロとカラダのつくりかた。

反省とか、やめてもいいですか?

反省なんてしなくていいから、人非人のように変わって下さい。と言われて、あぁ………そっかぁ、そうだよね、と思った。


日本人は反省が好き。小さい頃から何かやらかすと、いつも「反省しなさい!」と怒られた。反省しないと「反省が足りん」とか言われて許してもらえないから、一生懸命反省してるフリをした。

社会に出てからも、しくじった時は謝罪の後、反省する(フリする)に限る。だって、反省してると安全なんだもの。それ以上責められない。それ以上傷つけられない。だって反省してるんだから。反省して下向いて落ち込んで泥水飲んでると、そのうち許される。


反省って、自分で自分を責めること、だよね?あぁ、私は何てことをしてしまったのだ。何て自分はダメなんだ、って。反省して初めて人は変われるという風に信じてきたけど、どんなに反省したように見える人でも、繰り返すよね、失敗。私も数え切れない程、同じ失敗(忘れ物)をした。反対に、変えよう♪と軽く思い立った時は何の苦もなく変えられたりする。反省の深さと改善に相関関係はあんまりなさそう。

逆に、真面目な人程、反省したのに治らないなんて何て自分はダメなんだ、とか自分責めに走って、悪循環。


じゃあ何でみんな反省を求めるかって、多分、反省って世の中をつつがなく乗り切るための芝居だと思うんだよね。昔、身分の高い人のプライドを傷つけないように立ち回ろうとした庶民の知恵の名残り、みたいな。正しい人vs間違った人、許す人vs許される人、という構図の中に入って、顔を埋めてしゃがむ。しばらくそうしてたら許してあげるよ〜っていう、みんなで合意したお芝居。


でね、インドは反省の無い国らしい。間違った→変える、以上。実にシンプル。文化が変われば価値観も違う。

日本も、もうそろそろお芝居やめていいんじゃないかなぁ。お武家さんに手打ちにあうことも無いんだし。反省って結構パワー使うし。

間違った→あ、ごめんね。てへ☆→変える、くらいでどうかしら。

誰だって間違うんだからさ。


(何度やっても変われない時は、無意識に変えたくないと思っている時。これは別のお話。)