流産・不妊症・不育症 でも愛し愛されて生きていく ココロとカラダのつくりかた♡

ベビ待ちは本来楽しいもの。そして子供を授かっても授からなくても、愛し愛される人生を生きていいの。楽しく美しく愛されて生きるココロとカラダのつくりかた。

あの人のせいで傷ついた、というウソ

コミュニケーションにおいて相手を傷つけないようにと配慮することは多々あるが、相手を傷つくかどうかというのは、実は自分のコントロール外にあると思う。自分が何を言うかと相手が傷つくかどうかは関係が無い。イコール、相手が何かを言ってそれによって自分が傷ついたと思うのも勘違い、ということになる。


例えば、Aさんが絵が下手で、そんな自分をとてもダメだとコンプレックスに思っていた場合、BさんがAさんに絵が下手だね〜と言ったらAさんは傷つくかもしれない。

でももし、Aさんは絵が下手なことを自覚はしているが、それが自分でダメだとも何とも思っていない場合、同じことをBさんに言われても恐らく傷つかないだろう。

つまり、Aさんは元々そこを自分で傷つけているから、Bさんに言われた時に、その傷がしみて「傷ついた」と思うのだ。


私は脚が太いが、それをめちゃくちゃコンプレックスに思っていた時は、彼氏に少し指摘されたりからかわれたりすると勝手に傷ついていた。今でも脚の太さは変わらない(いや、より太くなっている気がする)が、今それを指摘されても以前のような反応はしない。それは脚が太い自分を受け入れているから。(受け入れた上で細くなりたいと思ってはいる)


だからね、誰かに傷つけられた、と思った時は、そのポイントにおいて自分が自分を傷つけていないかチェックする時なのだ。被害者ごっこはもう卒業したいよね。


だからと言って、攻撃的に言葉を発していいということではない。それはまた別のお話。