流産・不妊症・不育症 でも愛し愛されて生きていく ココロとカラダのつくりかた♡

ベビ待ちは本来楽しいもの。そして子供を授かっても授からなくても、愛し愛される人生を生きていいの。楽しく美しく愛されて生きるココロとカラダのつくりかた。

久高島のおばあ

久高島をご存知だろうか。沖縄県にある神の島。女性は神ん人(かみんちゅ)、男性は海ん人(うみんちゅ)。12年に一度、午年に、30台から40台の女性が神になるイザイホーという儀式が行われる。


その久高島で、神ん人のおばあに会ってきた。とても可愛らしい、小柄な、おばあだった。一緒に居た時間はほんの少しだけだけど、色んな話をしてくれた。とても普通に、自然と生きてる感じがした。人として普通に自然と生きる、という生き方。


おばあは最初からとてもオープンだったので、こちらが閉じなければ、気を広げていられた。もちろん、初対面の他人だけれど。なんというか、ふわっと胸が開いた状態で居られる。おばあが自然にそこに居るから、自分も自然にそこに居られる、そんな感じ。


久高島は自転車でまわれる。雨が降っていたが、おばあが、潮が引く時に雨は上がる、と言うので、その言葉を信じて自転車を借りて出発してみた。本当に雨は上がった。

久高島には神聖な場所がたくさんある。久高島の人達が大切にしている場所は立ち入らないが、浜などへはおりていける。島に何があるかというと何も無いのだが、何も無くてとてもいい。淡々とそこに在り、在る。


在る、ということがすごいと思った。おばあも、普通の日々を過ごしている。島の人達も、人生の色々なことを経験しながら、日々を過ごしている。

当たり前なのだけれど、何か、地に足が着いている感じがした。堅実という意味では無く。人として、無駄に力が入ってないような。時折力んでもニュートラルに戻れるような。何か出来事があっても、必ず自分の重心に戻れる安定感。

自分が自分として在る、というのはこういうことかもしれない。